noteはじめました。
noteをはじめました。
このブログは残すし、これからも大事な場所には変わりないのですが、
新たなプラットフォームでも、じぶんを打ち出していきたいという気持ちになりました。
以下noteです。
よかったらご覧ください。よろしくお願いします。
不適応。
社会生活に不適応だなと思う。
仕事を始めたはいいけれど、もう2日も欠勤している。朝起きるけれど、どうしても足が向かなくて、こころがしんどくて、出勤することができない。
なんでみんなみたいにふつうに生活できないんだろう。なんでふつうに仕事に行けないんだろう。
わたしは、社会的規範みたいなものをとても重視してしまう傾向にある。それは世間体や親の目を気にしていることととほぼイコールである。なんでこんなにしんどいのに仕事に行くのか、、つらくても仕事に行っていたほうが社会的で、正解なんじゃないかと思ってしまうからである。
仕事がある日常に慣れない。それがふつうになれば、もっと楽になれるかもしれないのに。
なんで仕事に行くことがこんなにゆううつで、こんなに苦しいんだろう。ひいてはなんで生きてるんだろうという問いにぶち当たる感情だ。上手く言えないけれど、わたしはなんで生きてるんだろうとか、そういうどうしようもないような問いによくぶつかる。そして答えはでなくて、ずっともやもやしている。
久しぶりにじぶんを傷つけてしまった。肩のあたりを数十ヶ所カミソリで切った。いつもならじぶんを責めるところだけど、今回は違って、傷ついてるじぶんを見てとても安心した。あなたは傷ついてるんだねって認めることでほっとした。主治医はその病理はパーソナリティ障害からくる内的葛藤や不全感からだろうと言っていた。リスカしたってなににもならないことくらいわたしにもわかる。ただただ傷つきたかった。これが病気なんだろうな。
仕事を休んでみても、楽にはなれなかった。わかりきってたこと。でも本当に疲れてしまって、仕事どころじゃなかったの。ごめんなさい。もう過ぎたことは忘れて、また次がんばればいいよね。そうだろ?
仕事も続けたいのか辞めたいのか正直わからない。仕事を続けることが本質ではないから、いつ辞めてもいいって主治医には毎回言われるけれど、簡単に辞める決心もつかない。つらいから辞めるのでは前に進めない気がする。つらくても辞めないで、そのつらさを持ったまま続ける方法を考えたい。それが何なのかはいまのわたしにはわからないのだけど。からだとこころが仕事のある生活に慣れて、すこしでも苦しさが減ったらいいなと思う。そのためには、いまは苦しくても通い続けるしか道はないね。
がんばりたくても、こころがついていかない。休んでも1ミリも楽になれないのわかってるのに。罪悪感ばっかりでつらいだけなのに。
最近の診察で、わたしの話は全部愚痴だと言われた。自覚はなかったけど、このブログを書いていたら、なんかそうなのかもしれないと思った。がんばれない、仕事に行けない言い訳と愚痴。こんなんじゃ前に進めない。だめだめだ。
劣等感と自己肯定感の低さがじぶんを追い詰めているように感じる。これはいまのじぶんを認めて、じぶんで克服しないといけないものなんだよね。簡単にはできないけど、いまの課題。そこにはまだしつこく学校歴コンプレックスみたいなものもある。乗り越えないと。
わたしが毎日どれだけしんどくて、どれだけ苦しくて、どれだけがんばって仕事に行ってるのかなんて誰にもわからない。わかるわけないよ、見せないんだから。わかってほしいわけじゃない。ただじぶんではがんばってることを認められるようになりたい。自傷なんてしてる場合じゃないよ。もっとじぶ
んと仲良くなりたい。いや、ならなきゃいけない。わたしはわたしでいいんだって思えるようにならなきゃ、回復は訪れない。
無理に適応しなくてもいいか。不適応は不適応のままで、できることをひとつずつやっていくしかないから。それがわたしだからしかたない。
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じぶんでも読み返すんだけど、そのときのことが鮮明に思い出されて結構しんどい。でもこれがあったからいまがある、そう思いたい。いいことも悪いことも。
感想ください、励みになります。
もやもやする。でも疲れてたから仕事休んだ、それだけのことだよ。崩れる前に対処できてえらいねってじぶんに言い聞かせる。それでもうこのことは忘れる。
連日、酷暑ですね。
こんな何の内容もないブログ、読んでくださってありがとうございます。
また何か思うことがあったら記事にします。
皆様、どうかご自愛ください。
仕事のこと。
今日はご報告。
本格的に就職活動を始めてから約3ヶ月。ありがたいことに縁あって仕事が決まった。
精神科のクリニックで働くことになった。
精神保健福祉士での採用ではなく、ひとまず医療事務としての採用なのだが、また精神科医療機関に携われることは、素直にうれしく思う。
もちろん病気のことも通院のことも話した上での話である。こんな経歴のわたしを雇ってもらえるなんて本当にありがたいしか言葉がない。
気づいたら前の職場を辞めてから約1年が経っていた。この1年何をしていたかと聞かれるととても苦しい。何もしないままに時間だけをただただ溶かしていたように思う。でも休養だけでなく、じぶんを振り返る機会は何かにつけて与えてもらっていたから、すこしは前を向けるようになったと、そう思いたい。
新しい職場に馴染めるのか、仕事はきちんとこなせるのか、体調を崩さず通えるのか、、いまは不安と緊張しかない。慣れるまではすこし気合いをいれて頑張らないといけない。慣れるまでにどれくらい時間がかかるだろうか。正直怖くてたまらない。
仕事が休みの日でも、次の日の仕事のことがどうしても頭から離れなくて、考えてしまうのをやめたいけれど、これまでの経験から、それはどうしたって難しいと思っている。そんなことが簡単にできたなら、仕事の悩みは8割型解決しそうだ。だから、そんな気持ちも含めて、仕事をするとはそういうことだ、と思えるように努力する。
働くスキル、みたいなものがあるとしたら、これまでの職場で培ってきたものを活かしたい。いままでのわたしなら、プレッシャーに押しつぶされていたかもしれないけれど、いまなんとか立っていられるのは、少ないけれど、これまでのじぶんの経験がそこにあるからだと思う。そういう経験と気づきを与えてくれた、かかわってくれたすべての人に感謝したい。
この仕事もいつまで続くかはわからない。体調が悪くなって行けなくなるかもしれないし、人間関係でつまずくかもしれないし、業務についていくことができないかもしれない、辞める理由なんていくらでも考えられる。でも、働こう、とすこしでもその気になったじぶんのことを大切にして、頑張れるところまで頑張ろうといまの時点では、そう思う。
でも、ずっと頑張って働くのは疲れるから、自然体で、じぶんのできる範囲を見極めて、周りにも助けてもらいながらやっていきたい。マイペースでいこう。
いい報告ができたかはわからないけれど、近況でした。
またブログもTwitterも更新していきます。
みなさまご自愛ください。
眠れない夜に。
Amazonで、わたしの闘病日記を販売しています。Kindleでも読めるので、関心を持ってくださった方がいたら、試し読みだけでもしていってください。
深夜3:30をまわったところ。ひっそりと自著の宣伝をしてみる。たまにしかチェックしていないレポートを見てみたら、Kindleで読んでくれている人がいた。誰がどこで見つけて読んでくれたのかはわからないから、ここを見てくれていたら、ありがとうございます。
この本はわたしにとって、とくべつなものとなった。わたしの、本当は思い出すのも考えるのもつらいような経験も、たくさんの人に助けてもらっていまがあることも、記録として残すことができたことは有意義だった。それを少しでも読んでくださる人がいることは励みになる。こんな生き方しかできなかったじぶんをさらけだして書いたものを受け取ってくれる人がいることは、とてもうれしい。よかったらぜひ読んでください。
最近のわたしは、だらだらと仕事探しをしている。
派遣の仕事にも1回だけ行った。
働くことに疲れて仕事を辞めてから、働く意欲を失っていた。休みたい、そう思った。仕事探しをしているのは、正直世間体のためでもあり、親からしつこく言われているからでもある。何もしないで時間だけを消費して、何になるのかと言われ続けている。
わたしだって、昼まで寝て、なんとか起き上がってシャワーだけ浴びて、またゴロゴロして、それでもお腹は空くからご飯を食べるような、そんな生活なんてやめたい。こんな生活しかできないのならば、生きていたくない。そう思うほど、じぶんには嫌気がさしている。
わたしの空白だらけの履歴書と病気のことで大半を占めている職務経歴書を提出しても、面接をしてくれると言ってくれる会社があることは、本当にありがたい。面接を突破できるかは、もう運と縁だと思っている。病気のことを言わないで選考を受けることもできるのかもしれないけれど、わたしにはそこをうまく乗り切れる術がなくて、全てではないにしろ、病気のことは隠さずに話すようにしている。だからなのかはわからないけど、面接はなかなか突破できない。厳しい世の中だなと思う。しょうがない、これが変えようのないじぶんが歩んできた道だから。
なぜこんな深夜にこれを書いているかと言えば、眠れないからである。もともと不眠傾向は強くて、眠剤は手放せないのだけれど、それだけではなくて、不摂生な生活を改善しなければ、それがよくなることはないと、眠れない夜に実感している。そんなとき、日中働くところができて、やるべきことができれば、それが一助となるのではないかとふと思う。働きたくない一心だったのが、すこし、働いてみてもいいかなという気持ちに傾いている。
意識があるのはつらい。それは、夜だけでなく昼間もだ。だからわたしは昼夜関係なく眠り続けている。でもそれも限界までくると、こうして眠れなくて苦しむ夜がやってくる。眠れない夜はとても長い。このまま朝まで起きていて、昼間も寝ないで過ごせたら、体内時計がすこしはリセットされるだろうか。長くて苦しい昼間を覚醒した状態で過ごすことなどわたしにできるだろうか。。
いまは早く仕事を決めて、頑張るべきことをつくって、生活のリズムをつけたい。そのために就活に励むしかない。働こうというすこしの希望が消える前に、なんとかしたい。
これを書いていたら1時間が経過した。長い夜がすこし朝に近づいた。明日はなるべく起きていよう。Kindleでたくさん積んである本でもガツガツ読めたらいいのになって毎日思うけど、そこまでたどりつけないのが現実だ。むなしい。
主治医は、わたしに、とてもよくなってきていると思うと言ってくれた。頑張っているねとも言ってくれた。何も頑張ってなんかいないと素直には受け取れないのだけれど、その言葉に恥じない生き方をしたいと思った。
明日は履歴書を印刷しにコンビニに行こう。そんな用事でも無理やりつくらないと引きこもりが加速する。
なんとか社会に戻れるように、なんとか頑張ろうと思う。
Twitter、あ、Xというのか、になかなか顔をだせないのは、頑張っているみんなを見るのが苦しいから。そこにじぶんがいるのがふさわしくないと思ってしまうから。でもときどきはつぶやきたくなるので、そのときには優しく見守ってください。
これから寝るのか、朝まで起きているのかは、からだに任せるとしよう。寝れたら寝たい。昼までとは言わないから。
まとまりのない文書になってしまった。
また何か進展があったら報告します。
皆さまご自愛ください。
眠れない夜に付き合ってくれてありがとう。
教育学部。
わたしは、精神保健福祉士だけど、福祉系大学の出身ではありません。
わたしは、教育学部の出身です。
前にも書いたかもしれないけれど、
わたしは、大学で、心理学を学ぶことが夢でした。それは中学生の頃からの夢で、学校に通う支え、勉強を頑張る支えでもありました。
高校生になって、進路を決めることになったとき、わたしの第1志望はもちろん心理学部と名前のつくところでした。
しかし、わたしは、大学受験に失敗。経済的にもモチベーション的にも浪人という選択肢はなかったから、かろうじて合格した大学に進学するしかなかったんです。
それが教育学部でした。
センター試験が終わって、出願できそうな学校の中で、教育心理学が学べるコースということで受験していたところでした。
わたしは学校歴コンプレックスに陥ったし、教員免許をとらないと卒業できない=教育実習にいかないといけない学科に入ってしまったことを後悔したし、毎日無気力でした。
それでもなんとか大学には通っていて、単位も真面目にとって、各種実習もこなして、卒論も書いて、卒業しました。
メンタルヘルスに関心のあったわたしは、大学卒業後に、精神保健福祉士の養成学校に進学して、福祉の道に進むことになりました。
ずっと認められなかったんです。教育学部に進学して、教員養成課程で単位をかき集めていたあの頃のこと。
でも最近ようやく受け入れられるようになってきました。わたしは福祉の世界に入ったけれど、教育学部で学んだことがわたしの土台をつくってくれている、いまに繋がっていると思えるようになってきたのです。
何かきっかけがあって、パッと受け入れられたというわけではないのですが、
社会人としての時間が長くなるにつれ、今後のビジョンも考える中で、
教育実習をしたことも、それ以外の実習に行ったことも、いまはわたしの視野を大きく広げてくれた良い経験だったと思うようになりました。
それは、精神保健福祉士の働くフィールドだったり、療養中に独学でとった保育士の働くフィールドだったりでも生かせるものばかりだと思います。
無駄なことなんてなかった。
あの頃、いろいろな思いを抱えながらも、頑張って学んでくれたわたしが、いまのわたしを支えてくれていると、心から思います。すべては繋がっているのだと。
いまは教育学部で学んだこと、教員免許をとったこと、教育実習を乗り越えたこと、それらは、じぶんの強みのひとつだと、すこしずつ思えるようになってきました。
教育という分野に興味を持てているじぶんが好きです。中学生の頃から、あんなに学校が嫌いだったのに、皮肉です。でもそういう縁だったのかもしれません。学校が嫌いだったわたしが教育学部に入って、教員免許まで取得するとは、誰が考えたでしょうか。でもそのおかげでわたしは教育学を学ぶことができ、じぶんの痛いところに、じぶんのつらかった思い出に、いまやっと向き合うことができているのかもしれません。
時間はとてもかかったし、いまでも違う道を選んでいたら、と思うことがないと言ったら嘘になるし、学校歴コンプレックスも完全にはなくならないけど、
いまは当時のじぶんを認めることができるようになりました。よかった。
どこに向かっての一歩なのかはわからないけれど、
一歩踏み出せたような気がします。
こうやって過去の選択を、すこしずつじぶんのものにしていくんだろうなと思う経験です。
まだまだ消化できない過去はたくさんあるけれど、時間がかかってもいいから、その経験を捉え直す作業をしていきたいなと思います。
いまは仕事を辞めてしまって、次にどこで働くかを考えているところです。
いままでは福祉の道にこだわっていたけれど、教育のフィールドで働くのもいいかな、なんて思うじぶんもいます。人生ほんとにわからない。
また先のことが決まったら報告します。
じぶんとよく向き合って考えていきます。
今日はこのへんで。
もしもの話。両親の離婚。
今日はもしもの話をします。
もうちょっと具体的に言うと、もしも親が離婚していなかったら今頃どうしていたと思うかという問題についてです。
わたしの親は、わたしが小4のときに離婚しました。
今のわたしは、大学をでて、精神保健福祉士になって、精神疾患を発症して、何回も何回も入退院を繰り返して、やっとのことで週1だけバイトに行っています。独身です。
わたしは母親に引き取られたのですが、母親はわたしによく離婚のせいで病気にさせたと謝ります。
わたしはその言葉を受け入れることができません。それを言われるととても悲しくてとてもつらいです。母親の人生をわたしのせいでだめなものにしてしまっているという感覚になるからです。
その言葉を受け入れないのだとしたら、
病気になったいまの自分と、親の離婚は関係ないと言っているようなものですよね。
環境要因に1ミリも影響がなかったかと言われれば、それは嘘になるかもしれません。
でも、わたしは両親のせいで、特段、両親の離婚のせいで病気になったとは思っていません。
わたしがいまの診断名どおり、パーソナリティ障害であるならば、
なにかのきっかけで、どこかで発症していたと思うのです。それが何なのかはわからないけれど。
いまのわたしは精神保健福祉士をとっているけれど、それは葛藤の末、両親の離婚がむしろあったからこそ出会えた職種であると思うので、逆にその出来事がなかった自分を想像することができません。ほかになにか別のことに興味を持って、やってみようという気持ちになっていたかと聞かれると疑問です。この職業に出会えたことは、わたしの幼い頃の境遇によるものだと思うので、良かったと言えば良かったのかもしれません。
もしも両親が離婚していなかったら、わたしは精神保健福祉士にはなっていないと思います。
でも病気は発症したような気がします。根拠はありませんが。それは両親の離婚のせいではなく、わたしのパーソナリティの脆弱さからです。両親の離婚のせいで病気になったわけじゃないと、それはずっと言い続けているし、信じています。
まとまらない文章で申し訳ありません。
最初の問、親が離婚していなかったらわたしのいまの人生はどうなっていたか、
それは全く別物になったかもしれません。
でもわたしはわたしなりにこの境遇でこの人生を歩んできたから、いまがあります。
だから、その問いにいまはまだうまく答えることができないのです。よく考えなければならないことだと思っています。
よく、離婚が子どもに与える影響、とか検索してみたりするけれど、正直たいしたことはどこにも書いてありません。それは自分自身や体験した人にしかわからないことなのだと思います。
もしこれを読んでくださっている方の中で、離婚を経験されている方、わたしと同じく親が離婚している方がいたら、話がしてみたいです。
つらかったですか?つらかったとしたら何がつらかったですか?もしくはいま何がつらいですか?人生にどんな影響を与えていますか?
わたしはまずは、大好きだったお父さんが突然いなくなってしまったことそのものが純粋に悲しかったです。両親の離婚はわたしの様々に影響を与えているとは思うけれど、それは病気になったこととは関係ないと思っています。だったら同じ環境で育った弟もそうなっていると思うから。彼はたくましく生きています。
答えのない問、もしもの話です。また思ったことがあれば書いていこうと思います。
最後にまた宣伝になりますが、家族、それこそ母親との関係、父親との関係についてもいろいろ書いています。よかったら下のリンクから、試し読みだけでもしていってください。わたしの闘病日記です。
どうぞよろしくお願いします。
悪い季節が続きますので皆様ご自愛くださいね。
当事者であり支援者であること
わたしは精神疾患当事者です。
いま診断されている主な病名は、うつ病と情緒不安定性パーソナリティ障害です。
通院精神療法はかかせないし、薬も手放せません。
わたしは精神保健福祉士でもあります。
一応支援者の立場でもあります。
当事者になってから、勉強されて資格を取る方は割と多いかもしれまんが、
わたしは資格をとって働いている中で、当事者になりました。
当事者であって、寛解したわけでもなく、今なお病勢がある、
そういう者が支援者をやっていいのか常に葛藤があります。
いまの仕事は精神保健福祉士として採用されているけれど、
毎日がっつりとケースワークをしているわけではありません。
書類作成補助みたいな事務仕事が多いです。
でもその中でも患者さんとコンタクトを取らないといけない場面はあります。
そんなときは自分が当事者だという意識はどこかに飛んでいってしまっていて、ふつうの顔をして仕事をしています。
で、帰ってきて薬を飲むときに、ああわたしも当事者だったんだなって思うのです。
調子が良かったときは、週3まで勤務できていましたが、
いまは体調の波が落ちているときなのか、
勤務は週2になり、とうとう週1になりました。
情けないしか言えないのですが、週1でもいいと配慮し、受け入れてくれている職場にはとても感謝しています。
当事者になってわかることがたくさんあります。
病気自体の苦しみもそうだし、仕事に対する気持ちとか、周りに対する思いとか、周りからの声に対する反応とか、環境との問題とか、その他いろいろな葛藤とか。それこそ支援者に望むこととか。。
それらはわたしが病気にならずに精神保健福祉士をやっていたら、わからなかったことだと思います。
だからそれらを活かしたいと思うのです。
当事者になったわたしだからこそできる支援やかけられる言葉とかを見つけていきたいなと思っています。でも、決して自分の経験だけでモノを語る支援者にはなりたくないので、いろいろな知見を増やしていきたいです。
もっと自分と対話し、もっとしっかり自分を捉えられるようになって、病気と共存しながらも、わたしにしかできない支援ができるようになるのが目標です。
いまは精神科クリニック勤務ですが、いつかは病棟のある病院で働くことも目標のひとつにあります。やってみたいことはたくさんあるし、勉強したいこともたくさんあります。
いまはそのときのための力を蓄える時期だと、準備期間だと思っています。
まずは、いま与えられている仕事を一生懸命やろうと思います。結局はそれしかできないから。
そして、当事者が支援者をやるということについても、逃げないで、ちゃんと向き合っていきます。
前回の記事でも書きましたが、自分の闘病日記を本にして販売しています。
当事者の気持ちも書いているつもりですし、かかわってくれた先生やワーカーさんたちのこともたくさん書かせてもらっています。
当事者の方はもちろんですが、ご家族や支援者の方、これから支援者を目指す方にも、なにかを感じて頂けるのではないかと思います。
試し読みもできますので、サンプルだけでも是非のぞいていってくださるとうれしいです。
仕事も毎日の生活も、自分らしさを見つけながら頑張ろうと思います。
皆様もご自愛ください。それではまた。
