ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

「あなたはどうしたいの?」

「あなたはどうしたいの?」

 

私のもっとも苦手な言葉のひとつ。

でも、この言葉をかけてくれる人のことを、私はもっとも信頼することができる。

 

そのことを初めて意識させられたのは、忘れもしない中学2年生のとき。

言ったのは、通っていた学習塾の講師。

 

その頃の私は相当くすぶっていて、その日も、クラスがどうだとか、先生がどうだとか、もう学校には行きたくないとかなんとか、ずーっとグチグチ言っていた。

そのとき、それまで黙って話を聞いていた講師がひと言、こう言ったのだった。

 

「あなたはどうしたいの?」

 

なんでかわからない。

自然と涙が溢れて止まらなかった。 

その場に座り込んで立ち上がることができない。

あれだけ文句を言っていた口から、何の言葉も出てこなくて、ただただ静かに泣いていた。

人ってこんなに素直に涙が流せるのかとどこか冷静に思った。

 

そして、

今まで、自分にそう問うこともなかったし、誰もそう言ってくれる人がいなかったんだと気づいた。

 

自分とは全く向き合っていなかった。

 

不平不満ばかりを募らせて、愚痴ばっかり言って、騒いで、現実から目を逸らし続けた結果、自分の中は空っぽなんだと、何もないのだと突きつけられるしかなかった。

 

恥ずかしいけれど、

いい歳になった今でも私はこの言葉が苦手で、言われるのがすごくこわい。

まともに答えられた試しがない。

そこまで成熟した大人には全然なれていない。

 

でも

この言葉をかけてくれる人は

私  を知ろうとしてくれるんだって、

私  と向き合ってくれようとしてるんだって、

それが痛いほど伝わるから、信頼していい人だって思う。

単純。

 

きっと相手はそんなに深く考えてないでしょう。

単に事実や周りの意見ばかりを言う私に、イライラして、

結局お前はどう思ってるんだよ!って、思ってるだけで、

かける言葉として

当然といえば当然なのかもしれないけど...

 

子どもながらに味わった感覚を今でも鮮明に覚えているし、大切にしている。

 

うん、ほらね。

何が言いたいのかさっぱりわからない。

そんなブログの最初の投稿。