ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

自分に価値を見い出せない

なんとも悲しいタイトルだが、

私がずっと抱えている思いのひとつだ。

こんなタイトルでブログを書いてごめんなさいと、

こんな私に関わってくれる全ての人に対して、今この瞬間も申し訳なく思っている。

 

私は完璧主義的なところがある。

というよりも、

自分が何もできない存在だということを心から認めることができない。

だめなやつだと思われるのが怖いのだ。

見捨てられるのが怖いのだ。

 

子どもの頃、勉強はできるほうだった。

でも、その勉強というのは、いわゆるテストで測る学力のことだ。

そう、

私は何かを自分で考える、つくりだすことは全くもって不得意で、

言われたこと、与えられたことを必死にこなすしか脳がないのである。

 

テストで満点をとること以外に自分に価値を見いだせない。

自分で自分の存在を評価できない。

何もできない自分に対する罪悪感が拭えない。

 

中学生まではそれでもまあよかった。

勉強しかしてこなった私は、高校はそれなりの進学校に入学できたが、そこで絶望的な体験をするのである。

 

そう、ここでは勉強はできて当たり前なのだ。

 

勉強ができる人、テストで点数がとれる人としての自分しか、自分にはないのに、

でもここでは、勉強でさえも1番になれなくて、

それだけでなく、みんな地頭がよかったり、芸術的なセンスがあったり、

本当に魅力的な人ばかりの集団の中に入ってしまった。

 

私は思った。

自分には何もない。

今まで必死にすがってきたものはなんだったんだろうと。

成績が良くてもここでは何も起こらない。

 

結局私はせめてもの勉強にさえも身が入らなくなってしまった。

何かの指標がないと自分の存在を確認できないのに、

テストでも満点がとれないから、勉強もやめてしまったのだった。

本当に間抜けである。

 

おかげで、

高校入学直後から、

「普通にやっていれば誰でも入れるレベルの学校だ」

と教師に言われ続けていた大学に進学することになった。

もう何年も前に卒業した今でも、大学は、学校歴コンプレックスでいっぱいの場所である。

 

そんな思いのまま大学生になってしまった私は、

やりたいことも、打ち込めることも見つけられず、

というか、見つける努力もせず、

自分から何か行動する勇気も気力もなく、

ずるずると単位をかき集めるだけの4年間を送った。

 

就活の時期になっても、進むべき方向がわかるわけもなく、

頑張ってきたこともなければ、アピールできることもなく、何がしたいのかもわからない状態。

そして、独特の就活のシステムに乗ることさえ出来ずに、そのレールから静かに降りた。

 

中学でも、大学でも、

たいして勉強もせず、好き勝手やっていた(ように見えた)人たちが、

今、しっかり社会人になり、家庭を持っているのをみると、

自分は本当になんだったんだろうと思う。

 

なんでみんなができることが自分にはできないんだろう。

なんでみんなあんなに毎日笑って生きているんだろう。

 

わかる。

誰だって苦しみ悩み、もがいている。

でも社会の一員として生きているのだ。

 

ふつうになりたかった。

 

何がふつうなの、というツッコミはおいておいてください。

なんか悲しくなってきました笑。