ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

消えたい気持ちは子どものときから。

わたしの診断名は、うつ病だけど、

純粋なうつ病ではないとずっと言われている。

純粋なうつ病という言葉が何を指すのかと言われたら、うまくは答えられないのだけれど、わたしは感覚的に理解していると思っている。まあ、それはいいのだが、、純粋なうつ病だったら、もっと周りにも理解されて、楽だったかもしれないと言われたことさえもある。

 

 

手っ取り早く言えば、

パーソナリティの弱さが背景にあると診断されている。

「未熟なパーソナリティからくる抑うつ状態」

 

 

自分というものがよくわからない。

自分の感情の起伏は激しく、コントロールができない。

自分のことを損なう行為をしてしまうし、常にむなしいという気持ちを持っている。

社会から取り残されている感覚もずっと持っているのだが、それをなくすことは難しいと主治医に言われて、また絶望的な気持ちになった。

満たされたい。でも何が自分を満たすのかもわからない。

 

中学生のときの作文を見つけた。

そこには、自分が生きることに悩んでいる様が痛々しく綴られていて、

「消えてしまいたいと思うことがあります。」

と書かれていた。

この作文は、なぜか校内での優秀な作品をまとめた冊子に載っていた。

これを添削した先生は、これを読んだ友達は、もしかしたらこれを読んだ大人たちは、

何を思ったのだろう。

 

子どものときから、何も変わってない。と思った。

中学生の思春期真っただ中で綴った気持ちが、いまも強く残っているということは、

幼い未熟なままのパーソナリティを抱えて生きていることを裏付けるには十分だ。

いつかこの作文も公開してもいいかなと思う。

 

「消えたい」なんて言葉を使ったら、

わたしはみんなとは違ったとくべつな存在になれるような気がしていた。

この作文を書いていたとき、すごくわくわくしていたことが思い出された。

 

 

痛々しい幼い自己をわたしはいまも生きている。