ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

「頭がいい人」なんかじゃない。

「頭がいい人はいいよね」

中学生の頃、よく同級生に言われていた。

 

たしかに成績はよかった。

でもそれは、テストの点数がよかっただけだ。

 

学年で1位をとらなければ、わたしのアイデンティティは保たれなかった。

頭がよくて勉強ができる人、としての立ち位置を失ってしまったら、わたしには何もない。

こわかった。

失敗するのがこわくて勉強してた。

 

わたしは、いわゆる地頭がいいタイプでも天才的になんでもこなせるタイプでもない。

じぶんで言うのも変な話だけど、

努力して努力して、必死に勉強して、その地位をじぶんのものにしていた。

 

たかが町立中学校の定期テストに徹夜で望んでいた。

何時まで勉強した?え、寝てないの?すごいね!

その言葉を聞くとわたしはなぜか満足した。

わたしはみんなとは違う。とくべつなんだと思えた。

 

テスト範囲はもうすべて暗記している。

プリントを何回繰り返したってわからないところはない。

それでもこわかった。テストはこわい。

 

だから、

「頭がいい人はいいよね」

なんて言葉はいちばん嫌いだった。

わたしのなにがわかる?

わたしはじぶんが「頭がいい」人に分類されないことくらいわかっていた。

「頭がいい」っていうのは、テストでいい点数をとることとイコールではないことくらいわかっていた。

 

それでも

テストで1位をとって、

わたしはホッとする。

これで次の試験までは1位の人でいられる、と思う。

 

でもそんなことに固執しているのはじぶんだけだってこともわかっていた。

テストの順位が話題になるのなんて、

成績表が渡されるその日かその翌日か、くらいのものだ。

 

しかも、学校で賞賛されるのは、「頭がいい人」ではない。

テストで赤点をとっていたって、

体育で活躍できる人はいつだってヒーローで、

芸術的な絵を描く人はいつだって注目の的。

わたしが国語のテストで100点を取ったって、到底追いつけない何かがそこにはあった。

わたしはいわゆる実技科目はてんでだめで、

体育なんてもってのほか、走るのは学年で一番遅かった。

なにかものづくりをしたって、なんのアイディアも浮かばないし、それを形にできない。

じぶんでなにかを生み出す作業には全く才能がなかった。

 

だから必死だった。

がんばって勉強をして、1位であることだけが、自分の存在を認めてもらう術だったから。

 

 

その後、高校は、県内でも有数の進学校に入った。

でもそこでわたしは現実を突きつけられるのだった。

 

ここでは1位になれない。

 

テストで点数がとれるなんてことは、そこではなんのとくべつなことでもなかった。

みんなプラスアルファを持っていた。

みんなすごく魅力的だった。

 

じぶんには何もない。

努力すればなんとかなった勉強だって、ここではトップにはなれない。

 

高校三年間はすごく才能あふれる人たちに囲まれて過ごした。

それなりに楽しかったし、刺激的だったけど、

同時にじぶんには何もないことを実感する毎日だった。

そして、いつのまにか

「頭がいい人はいいよね」という大嫌いな言葉を

心の中で何度も何度も唱えていた。

 

 

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