どういう文章が良いとされる文章なのだろうと考えた。
難しい言葉をたくさん使ったり、
ふつうには例えられないような芸術的な比喩を使ったり、
なんだろう、そういう、簡単には理解できないような文章が、
深みがあると評価される…気がするのだ。
到底じぶんはそこには及ばないと思うからだ。
読み解くのが難しいとされるものを書けることが芸術で、
それを読み解くことができるのが才能のひとつなら、
わたしにはどちらもない。
そう思って、ひとり絶望する。
何かを読んでも、
じぶんなりの解釈をして言語化することは難しい。
そもそもじぶんが何を感じているのか、もっと言えば、何かを感じているのかも
うまくとらえることができない。
子どものころ、夏休みの宿題で好きなのは読書感想文だった。
でも、いま思うと、あれは本を読んだ感想ではなくて、
ただただじぶんの日々の鬱憤を、
本を読んだことで感じたかのように、書き記していただけだと思う。
自由作文だ。
何かを感じるとき、わたしは誰かと一緒であることを求める。
怖いのだ。わたしが感じたことがみんなと違うのは怖い。
じぶんに自信がない。
じぶんだけの感想を述べたい、できたらそれを評価されたい。
そんなとくべつになりたい感情はいつだって消えないけれど、
本を読んだって、映画を観たって、
レビューをみて、ああこう感じればいいのか、と思う。
それをあたかもじぶんの内からでてきたもののように扱う。
わたしはちゃんと読み取れていますよとアピールするために。
何かを考えさせるようなこととか
心を揺さぶるようなこととか
共感はできなくてもおもしろいとか
わたしにはそういうことを発信するだけの力がない。
そういうのって訓練したら身につくものなんだろうか。
そもそも身につけるべきものなんだろうか。
誰かに評価されるためにじぶんを繕わないといけないとしたら?
そんなことはこの社会で生きていくためにいつだってしている。
だからここに文章を書くときくらいは、思うがままを綴りたいのだ。
素直であることは、わたしが求めるわたしの姿のひとつである。
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