ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

初めて精神科に入院したときのこと。

わたしが初めて精神科に入院したのは、25歳のときだった。

 

そのときは本当に心身ともにボロボロだった。

寝ても覚めても気持ちは落ちたまま。死にたい毎日。一日中リストカットをしてはその写真を撮った。食べ物を受け付けず、唯一食べられたアイスだけを抱えて食べ続け、2ヶ月足らずで20kg太った。大量の処方薬でまともに歩くことすらできない(ODではなく)。何ヶ月も微熱が続き、終いには高熱が下がらなくなった。

 

そこまで落ちても入院は嫌だった。じぶんが精神科に入院するなんて思ってもいなかった。当時は精神科でワーカーをしていたし。。精神保健福祉士の発言として不適切なのかもしれないけど、正直なことを言ってしまえば、精神科の入院歴ができることに抵抗もあったし、単純に、じぶんがどんな生活を送るのかが見えなくて怖かった。

 

それくらい入院したくなかったけど、からだの限界も感じていた。

外来の主治医は、毎週の診察の度に太り、傷を増やしてくるわたしに言った。

来週の診察までに100gでも体重が落ちてたら外来継続。それができなかったら入院も考えよう。と。

わたしはその場で泣きながら答えた。

無理です。入院します。と。

体重のコントロールなんて不可能だった。傷を増やさないことだって不可能だった。もう入院しかないと震えながら決心した。

 

入院当日も39度近い熱があり、すぐに点滴につながれた。

 

診察では毎回泣いた。

 

まわりがどんなに退職を勧めても、仕事に戻りたくて戻りたくて仕方なかった。やっとできた就職先を失うのが怖かった。ワーカーの仕事もやめたくなかった。

隙を狙っては職場に電話をしていた。とんだ迷惑な話だ。業務中の上司に、わたしがいなくなれば新しい人を雇えるのに、と泣きながら訴えながらも、辞めさせないで待っているから、という言葉が欲しくて、その言葉にすがった。

 

病棟でもじぶんを傷つけた。刃物がなくたってじぶんを傷つけることはできた。その度に心も傷ついた。毎日が戦いだった。

 

...この期間のことも全部日記に残している。

今でも読み返すとそのときのことが鮮明に思い出されてすごく痛くて苦しいのだけど、

絶対に忘れたくないことばかりだから、あのとき記録をつけてくれていたじぶんにありがとうと言いたい。

 

入院先の主治医にもスタッフにもわたしは恵まれた。

入ってみたら、全然怖いところではなかった。むしろわたしはそこに居心地のよさを覚えてしまったのである...。

 

結局、3ヶ月半程の入院生活を送って退院となった。

 

すぐに職場に復帰したけれど、そんなにうまくいくはずもなく、再び休職。

わたしは入院に依存した。入院することがあんなに嫌だったのに、戻りたくてしかたがなくなったのである。

 

そして、入院したい、入院したいと騒いだ。

 

入院先の主治医は、諭すように言った。

何かあったら入院すればいいと思わないでください、入院に頼りすぎないでください。と。

今ならわかる、入院したって何かが劇的に変わるわけじゃない。退院後、どうやって生活していくのかが大切なのである。でも、そのときはわからなかった。

 

わたしは、1ヶ月限定、という条件で、再入院した。

前回の退院から1ヶ月しか経っていなかった。仕事には10日間しか行けなかった。情けなかったけど、ほっとした。

 

 

初めての入院のときはこんな感じだった。

いまは7回目の入院中だ。

ただ、じぶんの体調も、入院の位置づけもだいぶ変化している。

またそのことについては、すこしずつ書ければと思う。