ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

解消されない寂しさ

わたしは寂しい。

毎日毎日寂しくて空虚でしかたがない。

 

パーソナリティ障害と診断されている。

主治医が言うには、

自他の境界が薄い、自我が確立されていない

それが1番であり最大の問題だそうだ。

 

診察で、毎日寂しいですと言った。

みんなは寂しくないんですかと聞いた。

主治医は、みんな全く寂しくないわけじゃないと思うけど、わたしほど強く寂しさにスポットがあたっていないんだよと答えた。

そして、わたしがこんなに寂しさを感じてしまうこと、それは自我が未確立だからとのことだった。

 

愛されたいんだろうと。

結局誰に愛されたいかって言ったら、母親だろうと言われた。

いくら恋人をつくっても、

わたしの歪んだ愛されたい感情を恋人では耐えることができないと。

いくら恋人ができたとしても、

いまの寂しさが消えることはないんだとも言われた。

 

わたしはひとりだ。

ひとりでいるのがいちばん傷つかないで済む。

と、思うことにした。

いや、本当はひとりでいることが寂しくて寂しくて仕方がないのに、

人とうまい距離感で付き合うことができないのだ。

 

母親は言う。

あなたは対人関係になんの問題もないのに、なんで社会に出られないのかと。  

 

そんなことない。わかってない。

わたしの何にもわかってない。

 

じゃあ、自我を確立するにはどうしたらいいのか。

それは人の中で生きることらしい。

わたしにとっていちばん難しいことだ。

自我はじぶんでつくろうと思ってつくれるものじゃない。

他者と関わって、他者とじぶんの違いに気づくこと、まわりの人たちがわたしに与える評価、それがだんだんじぶんをつくるんだと、主治医は言っていた。

 

寂しさに効く薬なんかはなくて、

だからわたしがいま処方されている薬は

本当に本当に補助的なもので、  

根本的な治療にはならない。

怖いけど、

じぶんが一歩踏み出して、

じぶんが何かを変えなければ、 

わたしはずっとこのままだ。

だから頑張らないといけないのだ。

 

まだ若いんだから、

これからのよりよい人生をつくっていけるよってよく言われるけど、  

もう何年言われてるんだって話。

 

ほんとは愛されたい。

ほんとは抱きしめられたい。

でもそれはすごく幼児的な欲求だってことを 

わたしはよくわかっている。  

だからいまのわたしには誰かと健全なお付き合いをすることはできない。

それは、相手にもすぐに伝わるものだから。 

どうせ、じぶんじぶんになって、

苦しめるだけだから。負担になるだけだから。 

そんな惨めに傷つけたくないし傷つきたくもない。

 

カウンセリングを受けることになった。

主治医はカウンセリングを結構重要視している。

いまのわたしにとって必要なことだと。

 

話がまとまらない。 

でも思うのは、

ふつうになりたかったなってこと。

パーソナリティ障害になんかなりたくなかった。

でも、そんなことを言ってもどうにもならなくて、

いままでの生きてきた積み重ねがいまのじぶんを形成してるんだから、

これからをどう生きていくかを考えなきゃいけないんだ。

 

いつか心から誰かのことを愛して

いつか心から誰かに愛されて、、

諦めてひとりでいるって言いながら

微かな想いがあるのも正直なところだ。

 

がんばろうね。