ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

うつ病になりたかった中学生時代。

わたしは中学校に入学してから、

対人関係において、じぶんらしく、ありのままでいることができないという言葉にできない違和感を感じていた。

なにをされたわけでもないが、先輩という存在が怖くて仕方なかったし、

同級生の中でもカーストはしっかりあって、

じぶんが下位にいることはわかっていたけど、それを認めたくなくて、毎日必死だった。

 

 

中学2年生のころから、

わたしは学校の居心地がとても悪くなった。

学校が嫌いで嫌いでしかたなかった。

高校に進学するため、内申点をかせぐため、欠席日数を増やさないためだけに学校に通っていた。

毎日、保健室と相談室を訪れては泣いていた。

授業に出ないで時間をつぶすこともたびたびあった。

 

とにかく寂しくて、むなしくて、話を聞いてほしくて、かまってほしかった。

授業にでないじぶんは、みんなとは違う。

わたしは心を病んでいる。とくべつな存在だと思っていた。

 

そのころから「病む」という言葉を使うようになった。

精神科に憧れがあった。

なんでだろう、精神科の薬を飲んでみたいという気持ちもあった。

そのときはうつ病くらいしか疾患についての知識もなくて、

ネットでうつ病診断と書かれているものを探しては、チェックをすることを繰り返した。

 

重度のうつ状態と考えられます

医療機関の受診をお勧めします

 

と表示されると、わたしは満足した。

 

その結果をもって、また保健室に行く。

わたし、うつ病なの と騒ぐ。

今思えば痛々しくてなんて馬鹿なことをやっているんだと思うけど

そのときは必死だった。

 

うつ病になりたかった。

うつ病になったら、わたしは注目される。

ひととは違う、うつ病の人になれる。

具合が悪いと言って、学校を休むこともできる。保健室に入り浸ることもできる。

 

精神科に行きたいと学校では毎日のように訴えていた。

そんなわたしに、先生たちは呆れたように言った。

そんなに受診したいならしたらいい、と。

 

でも、親には言えなかった。

わたしはとくべつになりたかったけど、

親の前では、ふつうの子でいたかった。

 

もちろん学校から親に連絡は入っていただろう。

でも授業にでていないこと、毎日保健室と相談室を行ったり来たりしていることを

じぶんから親に話すことはなかった。

テストではいい点数をとって、成績表をみせては親からの承認を得ようとした。

親に認めらることはわたしにとって最重要課題だった。

…いまもそうかもしれない。

 

すべてのことがくだらなく感じられた。

内申点を稼ぐためだけに、つまらない授業で、わかりきった問いに、挙手をした。

当てられても当てられなくてもどうでもいい。

手を挙げたのは、先生が挙手の回数で評価をつけると言ったからだ。

ずるい、と思った。

先生というのは、本当にずるいと思っていた。

苦しかった。

紙飛行機が飛び交う教室の中、誰も授業なんて聞いていない教室の中で、

力なく授業をする先生の問いに、無感情で手をあげるじぶんが悔しかった。

テストで点数が取れればいいじゃないかと思っていた。

テストで100点をとったわたしの成績は5段階中5しかとったことがないけれど、

テストで30点しかとれないやんちゃな男子が、

まっすぐ机に向かっていた、私語を慎んだ、何回か挙手をして発言しようとしたという理由で、3の評定を得て褒められたときは、本当に無気力に陥った。

がんばって真面目にやっている人が、正当に評価されたいと思った。

 

わたしは真面目過ぎた。強迫的だった。

もっと力を抜いても、テストは100点でなくても、80点でも5の評価はもらえる。

それがわからなかった。100点以外はなんの意味もないと本気で思っていた。

 

もっと建設的な方法で

じぶんをアピールできる方法があったに違いない。

思春期特有の、いわゆる中二病と呼ばれる状態だったのかもしれない。

ある意味正常な成長過程だったのかもしれない。

でも問題は、いまもその気持ちを抱えたまま生きているということだ。

まわりのみんなが年を重ねて、その時々の発達課題を乗り越えていく中で、

わたしの精神状態は幼いままでとまっている。

 

あのとき、うつ病と診断されたいと泣いて泣いて訴えていたころ、

本当にうつ病と診断されて働けなくなり、社会に適応できないじぶんになることが想像できただろうか。

 

あのときはファッション感覚だったと思う。

うつ病としてのじぶん という立ち位置が欲しかった。

心配されたかった、同情されたかった。

みんなとは違うと思われたかった。

 

結局わたしは精神科へのあこがれをもったまま、受診をすることはなかった。

うつ病にはなりたかったし、薬も飲んでみたかったけど、

本心では確定診断を受けるのも、治ってしまうのも怖かった。

ここまでくるとじぶんでも何がしたいのか、何をもとめているのかわからない。

そんな自分が情けなくて仕方がなかった。

 

今思うと、そのころからわたしのパーソナリティは不安定そのものだった。

じぶんでじぶんのことを評価することができないところは今も変わっていない。

成績表に印刷される、順位:1 しかすがるものがなかった。

社会人になるとそんなに明確に評価されることなんてない。

それにそんな指標があったとしても、自分が1位になれるなんて思えない。

わたしは自分を見失った。

 

そして、ある日、頑張って仕事をしようという気持ちとは裏腹に、からだが悲鳴をあげた。

そこから崩れるのは早かった。

わたしは幼いころにあんなに恋い焦がれた うつ病 の診断を受け、投薬治療も始まった。

それは想像を絶する闘病生活の始まりでもあった。

 

うつ病を、パーソナリティ障害を、じぶんのアイデンティティにはしたくないけれど、

でもそれをしてしまっているじぶんがいるのは事実だ。

こうしてブログを書くことだって、そのひとつ。

 

うまくまとめられず、長々とした退屈な文章になってしまった。

伝えたいことはたくさんあるのに、うまく表現できないもどかしさがある。

もっと勉強しなければいけない。

 

 

 

 

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