ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

会いたい。

コロナの影響で外出もままならない日々。

ひきこもりのわたしでも孤独感は増します。

 

いつもひきこもりなんだからあなたには関係ないでしょって、いろんな人から言われて。

(もちろんジョークでね。)

 

わたしも、そうだなあって思って、

このときのために訓練してた!

ひきこもりのイロハ教えるよ!

って、精一杯笑ってみたけど、

こういうときこそ、社会と繋がってないことをより強く感じるから、皮肉だなって思います。

 

わたしが感染して、わたしが発症して、

貴重なベッドを埋めることなど許されないと本気で思いました。

いつもひきこもってて、社会と何のつながりもなくて、わたしが感染しても、困る人も困る仕事もないから、、

その人が感染したら、みんなが困って、会社が困って、社会が困って、、

 

わたしなんかが人の手を煩わせて、そういう人の邪魔をしちゃいけないんだって思って、何よりもそのことに怯えています。

 

こんなこと考えててばかだなあって思うし、そんなこと言うなら、○○な人はどうなの?って声が聞こえてきそうだけど、人は関係ないの。ただ、自分に対してはそうとしか思えないって話。

 

でもなんかね、

ひとりでいろんなこと考えてると

会いたい人がたくさんいるなあって...。

 

想うだけで涙が止まらないんだ。

なんで泣いてるのかわからないんだけど。

 

会いたくて会いたくて

傷つくことがわかってても

傷つけることがわかってても

会いたくて会いたくて仕方がない。

 

みんな、もう会えない人ばっかりなんだ。

こんなに会いたいって願ってるのに

会えない人ばっかりなんだ。

 

わたしが思うほどに

相手はわたしのことが大切じゃないし

そう、いつもそう、

いつだって、一方通行で

いつだって、依存してるだけだから

 

ちゃんとした自分をもって

ちゃんとした関係性を築けていたら

いまも近くにいられたかもしれないのにな。

 

大切な人ほど

一緒にいたい人ほど

一緒にはいられなくて、

遠くに行ってしまう。

 

思い出の中で、記憶の中で、

その人の像は、

美化され続けて、大きくなっていくばかり。

 

せめて

それがわたしの中から消えてしまわないように

ずっとその像にすがっている。

そっと抱きしめて泣いている。

失いたくないから。

すこしでも覚えていたいから。

すこしでも掴んでいたい。

 

何を話したいとか何をしてほしいとか

まったく思い浮かばないんだけど、

ただただ会いたいです。

 

会って、

昨日も会ってたみたいに

笑ってほしい。

 

 

泣くほど思ってくれる人なんて

わたしにはいるだろうか。

誰かの記憶の中に

そっと抱きしめられるわたしはいるだろうか。

 

みんないなくならないで。

だいすきだから。