ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

障害の説明。知ること。教えること。

いいタイトルが思いつかない。

 

病気とか障害とか、

ただただ知らないがために

お互いに苦しい思いをすることはないだろうか。

 

小学生のとき、

今考えれば、

明らかに知的障害の子がクラスにいた。

 

当時、彼だけは

何をしてもなんとなく許されて、

すこし不潔だったりもして、

学年が上がるごとに正直煙たがられてた。

 

でも本当にわからなかったんだ。

なんであの子がああなのか。

 

ちゃんと教えてくれる人がいなかった。

教えられる人がいなかったんだと思う。

 

私は

彼に対しても

先生に対しても、彼の親御さんに対しても

嫌悪感を抱いていた。

最低だと思うけど、ほんとにそうだった。

 

当時のわたしたちに...というかわたしに

知的障害なり、

彼の生きづらさみたいなもの、

苦手なこととか、できないこととか、

なにかわかりやすい形で教えてくれる人がいたら

もっと違う接し方ができたり、

違う思いを抱くことができたんじゃないかなと

今でも思う。

 

みんなと同じにしなきゃいけなくて

でも同じにできなくて

でも彼だけは仕方ないでやり過ごされたり

ときには、すごく叱責されたりもしてた。

 

全然わからなかった。

 

今ならわかるから。

障害なんて難しい言葉じゃなくていいから、

なにか対応がなかったのかなと思ってしまう。

 

彼は今どうしているだろうか。

 

その後

わたしは何かの縁で

教育学を学ぶことになったわけだけど、

特別支援教育を学んですごく興味をもった。

 

大学卒業してから

福祉系の専門学校にも通った。

病気や障害のことも学ぶようになって、

 

いつも、思い出すのは彼のこと、当時のこと。

 

そして

自分も当事者になって、

いろんな立場の気持ちを今まさに感じている。

 

知ることって大事だし

状況はなにも変わらなくても、

知るだけでかかわりや思いは変わると思う。

そして、

それをきちんと伝えられるようになりたいと思う。

自分のことも、人のことも。

 

いつか社会復帰することができたら

わたしはそういう仕事に携わりたいのです。

直接的でなくてもいい、間接的でもいいから

なにかできることを見つけたい。

 

わたしはまだ

ちゃんと自分のことを説明できない。

ちゃんと説明できるようにならないとなと思うし、

自分のことを知ってもらいたいし、

相手のことも知りたい。

 

ちょっと希望のあること書けたかな...

わたしは

 

自立した生活をして

 

働きたいです。