ふつう と とくべつ の境界で。

うつ病、パーソナリティ障害を抱えて生きるわたしのありのままの記録。

50の質問...に答えられない

タイトルのままなんですけどね。

 

ブログとかでさ、

○○のための50の質問とかバトンとか

流行った時代ってありませんでした?

今もあるのかな?

あとは、プロフィール帳とかもありましたよね。

Twitterでは質問箱とか見かけるか。

 

わたしはすごく苦手です。

自己紹介の類がすごく嫌いです。

 

ぐーぐるさんで検索してみて、

いろいろ見てたんだけど、

 

やっぱり

まっったく答えられないことに気づいたよね。

 

まず3番目くらいの質問で、趣味がくる。

 

無趣味。ん?これ答えになる?

 

好きな色は?好きな食べ物は?好きなタイプは?

座右の銘は?大切にしていることは?

なにをしているときが楽しい?

今ハマっていることは?...

 

わからんわ!てか、ないです。が答えかな  

 

わたしは

好きとか楽しいとか面白いとか

そういう感情に乏しいと思います。

 

それに、正解がないことがこわい。 

 

自分のプロフィールなんて、

自分の思い、考え方なんて、

正解があることじゃないのはわかってるけど、

でもこわいんです。

 

自分軸で生きてないから。

他人軸で生きてるから。

これを言ったらどう思われるのかとか

これで間違ってないんだろうかとか

それが先にたつんですね。

恥ずかしいことだと思ってます。

つまらない生き方だなと思ってます。

 

でもそれは

嫌なことを感じないようにするために

身につけてしまった技でもあります。

 

嫌なことは感じなければいい

何も感じなければ楽だ、苦しくない...

そう思っていろんなことにフタをしてたら、

ポジティブな感情まで感じられなくなったのです。

 

ドクターに言われました。

感じないようにするっていうのは

自分を守るひとつの方法だけど、

嫌な感情だけを感じないようにすることは

できないんだよと。

だから、

そういう対処法をとってると、

楽しいとか嬉しいとか

そういう感情もなくなってしまうんだよと。

 

まさにその通りの状態で、納得。

 

何を聞かれても答えられないんですね。

ありません、わかりません

だけの連続になる。

 

だから自己分析もうまくいかない。

就活で自己アピールなんてできるわけがない。

 

それは感じること考えることから逃げてるから。

それを考えることは

わたしにとってすごく苦痛なことだから。

 

なにか好きなことを見つけられるといいですね。

と何かにつけて言われます。

 

難しく考えすぎなんでしょうか。

語れるくらい詳しくないと

趣味とは言えない

とか、

その答えには明確な理由がないといけない

とか、

無意識にそんな考えが働いてる気がします。

 

どうしたらいいんでしょうか。

 

ほらまた人に投げるでしょ...笑

 

いつか50の質問、完成させたいですね。